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富山の売薬
積雪のため冬季での稼ぎが制約されるため、越中では出稼ぎが盛んだった。
ただ越中は越後や信越と異なり行商が盛んであったところに特徴がある。
『富山の薬売り』で有名な売薬は、富山、高岡、滑川、水橋、八尾、四方などの町場から
専業売薬人をだすほか、富山周辺農村や射水農村の出稼ぎでも行われた。
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富山の売薬は元禄時代から関東に進出していたことが文書からわかっている。
享保年間以降に全国各地に販路を拓き、文化10年(1813)頃には
富山藩領だけで2500人もの行商がでている。
富山売薬の販売方法の大きな特徴は、薬を顧客にあずけ、使用後に代金を回収することにある。
これは、立山御師が護符、経帷子などを檀家に預ける方法を取り入れたものと言われているが、
蚕種や小間物でも同じ方法がとられていた。
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売薬、蚕種の行商発展は、関連する産業の発展をもたらした。
売薬の場合、立山地域で薬種採取の稼ぎを生み出すと共に、売薬をつめる袋用の紙生産を
八尾の山地で活性化させた。
売薬は土産品を重視したため、売薬版画製造という業種もおこした。
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